思春期 2013.04.07-04.13

それは中一の秋に突然やってきた。自我の、まさに目覚めであった。自分はなぜ生きているのか?いかなる存在なのか?少なくとも大学受験の時まで、それは僕の最大の課題であった。人はそれを思春期という。思春期とはいったい何なのだろう。

中学から高校までの思春期、僕は毎日が違う自分だった。昨日と今日は大きく違う。明日はどうなるのか。変わる自分が怖かった。まったくわからないままに哲学や心理学の入門書を読み漁った。キリスト教会にも通った。いまの僕の心のルーツはその思春期にある。

ヒトの子どもは、思春期になって急に身長が伸びて体が大人になる。それを思春期スパートと呼ぶ。なぜその時期なのか。それは、その前の少年期は、成長エネルギーのほとんどが脳にいくからだ。思春期になって脳が大人の大きさになると、ようやく体に成長エネルギーがいく。

少年期は脳の物理的なハードウェアが発達する時期かもしれない。思春期に入ってソフトウェアの整備が始まる。自我に目覚める。知的好奇心も旺盛になって、高度に発達した人間社会を生きるための智慧と知識を身につける。こうして子どもの脳は大人の脳になる。

人には反抗期が2回ある。一つは幼児期の反抗期。それは乳児期の密着した親の愛情から逃れるための乳離れだ。そしていま一つが、脳が発達してからの思春期の反抗期。それは精神的にも親から自立して一人前の大人になることだ。反抗期を親は嘆くけれども、それがなければ大人になれない。

考えすぎかもしれないけれど、いまの子どもたちにきちんとした思春期があるのだろうか。人生に悩んでいては、恋に悩んでいては、大学受験にマイナスになる。でも、周囲がそれを抑え込んだら、子どもは大人になれない。人生で一番大切な時期をみすみす逃してしまうことになる。

65歳になったとき、80歳までの残りの人生を、気持ちの上では18歳から33歳までの15年として生きると宣言した。もしかしたらその18歳から、時計は逆に回っているのかもしれない。そうだとすると僕はいま思春期にある。改めて人生について真剣に悩んでいる。