ものづくり 2013.04.21-04.27

僕は大学では工学部に長く在籍してきた。そこでのキーワードの一つに「ものづくり」がある。工学部としてはあたりまえの用語のように思われたけれども、実はものづくりは、単なる工業生産や製造を指す言葉ではない。そこにはさまざまな特別な意味が込められている。

ものづくりがもてはやされたのは、バブル崩壊後の90年代からだ。バブルの時代は「カネがカネを生む」と言われた。それはもちろん幻想であった。その反省から「モノ」が見直され、ものづくりの大切さが叫ばれるようになった。その意味では、ものづくりはバブルを抜きにしては語れない。

ものづくりは、単なる生産や製造とは違う大和言葉だとも言われる。そこには、日本に固有の伝統的な技術があって、その延長上に日本の製造業の繁栄があったという一種の歴史観がある。そこでは経済よりも精神性が重視される。日本人はそのような精神性を好む。

戦後日本を牽引してきた日本の製造業は、実は下請けの中小企業に支えられてきた。そこには職人芸とも言える優れた技術があった。バブル後の日本の再生を図るには、ものづくりを担う中小企業を大切にしなければならない。ものづくりには、そのような意味も込められている。

いま日本の製造業は、アジア諸国に抜かれて危機にある。なぜそうなったのか。アナログの時代は、ものづくりのノウハウが製造を支えてきた。ところがデジタルになると、それがなくても製造できる。誰でも新規に参入でき、安ければ売れる。ものづくりそのものが危機になった。

デジタルは、ものづくりを変えていくのかもしれない。いま少しずつ注目されている三次元プリンタは、コンピュータの出力としてのものづくりを可能にしつつある。その可能性については様々な議論がある。でも確かに時代は変わろうとしている。

ものづくりという言葉には、かつての日本はよかったという、古き良き時代へのノスタルジアが感じられる。たしかにものづくりは大切だけれども、それが単に昔に戻れという意味になると危ない。時代を見誤ることになるからだ。後向きでなく前向きのものづくり、それがいま求められている。