ひとづくり 2013.05.05-05.11

ものづくり、ことづくりに関連して「ひとづくり」も叫ばれている。実は、僕はこの言葉が好きになれない。「ひと」はつくるものではないからだ。「ひと」をつくろうとする発想そのものに疑問を感ずるからだ。

「ひとづくり」は、経済を中心に考えると、人材育成と同義語になる。そこでは人を材とみなす。確かに戦後の日本の経済は、優れた人材によって支えられてきた。ビジネス戦士は24時間戦うことを要求された。しかし彼らは、人として、父親として、夫として、幸せだったのだろうか。

「ひとづくり」は、国を中心に考えると、国家に有用な国民づくりになる。日本ではかつて富国強兵が合言葉だった。そのために心身を鍛えることが「ひとづくり」の時代もあった。心身の鍛錬は、それ自体はいいことだけれども、お国のために死ぬことが目的になると、まったく意味が違ってしまう。

「ひとづくり」が、なぜ安易に叫ばれるのだろう。教育への期待が高いからだろうか。しかし、それが自分たちの利益のためだけの期待であって、それぞれがそれを主張し、それによって教育が変わってしまったら、教育は崩壊する。「ひとづくり」から脱却したときに、日本の教育の再生が始まる。

「ひとづくり」という発想は、教育の現場にはなじまない。目の前にいるのは、それぞれ名前がついた教え子である。その教え子が健やかに育ってほしい。その未来が素晴らしいものであってほしい。その願いが教師を支えている。そこには人を「つくる」という発想はない。

モノはコトによって、コトはヒトによって価値が与えられる。そのヒトの価値は、それ自体が固有である。言い換えれば、モノやコトのためにヒトに価値があるのではない。それを忘れると、ものづくりやことづくりが先行し、そのための「ひとづくり」になる。

まずは国あるいは産業があって、それを支える「ものづくり」が危なくなったから「ことづくり」になって、そのために「ひとづくり」が必要だという流れの発想はそろそろやめた方がいい。まずは「ひと」がいて、その「ひと」のために「ことづくり」がある。それを支えるために「ものづくり」がある。

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