バブル 2013.05.26-06.01

80年代後半に、日本にバブルと呼ばれる時期があった。バブルの時は、みなそれに浮かれた。しかし長くは続かなかった。諸行無常、バブルはいつしか必ず崩壊する。そしてそのつけは、その次の時代が背負うことになる。

もしかしたら、日本は戦後全体がバブルだったのかもしれない。でもそのおかげで、戦争に負けた日本が立派に国際社会に復帰した。しかし、バブルはさまざまな後遺症を残した。地域の崩壊、家族の崩壊、その結果としての少子化。いまそのバブルの後始末の時代となっている。

歴史的には産業革命以降の近代という時代が、まさにバブルであった。人類は、地球の資源やエネルギーを生産に変える術を知ってしまった。知ってしまったら、誘惑に負けて、浪費してしまった。そして地球の生態系を乱して温暖化を招いた。

人類は、農耕を始めたときから、自らをとりまく環境を自分に都合いいように変えだした。地球からみれば、人類の存在そのものが、まさにバブルかもしれない。かつてバブルのように繁栄した恐竜は、巨大隕石の衝突とともに滅亡した。人類のバブルはどのような形で終わるのだろうか。

多元宇宙論では、宇宙は無数にあって、それぞれがバブルのような存在だ。ビッグバンによって誕生し、いま加速膨張している。その先がはじけるか、しぼんでしまうかは、ダークエネルギーが何であるかによるらしい。それはまだ正体がわかっていない。僕の生活には関係ないけれども面白い。

人が生きていることそのものが、バブルではないかと思うことがある。死の海の中で、たまたまの偶然でバブル(水泡)のように誕生して、そしてはじける。それを空しく思うのではなくて、そういうものだと割り切って、バブルを生きる。それが人生なのだ。

バブルは、悪いことのように思われているけれども、もともと人生や歴史はすべてバブルの繰り返しなのだ。それを前提に、ちょっとだけ浮かれて生きる。僕はそれでいいと思う。でも、次の世代はもっと楽しいものであってほしい。いまの世代のバブルの後始末だけはさせたくない。