天国 2013.06.09-06.15

人は死んだ後にどこに行くのだろう。昔の人は死後に天国や地獄があると考えた。いまはそう信じている人は少ない。現代人は死が恐くなくなったのだろうか。それとも毎日が忙しくて、死を考える心の余裕がなくなっているだけなのだろうか。

仏教では四苦(生老病死)の最初に生がある。もともと、人が生きることは、それ自体が苦しみだった。そこでの希望は死後の世界だけであった。天国を信じたから、人は生きることができた。天国は、死んでからでなく現生を生きるためにある。

一部の宗教では、死後に天国があるから、この世は我慢せよと教える。我慢して、死後に何もなかったら、何のための我慢だったかわからない。むしろ、天国はこの世を真摯に生きたことへのご褒美くらいに考えた方がいい。ご褒美だから、貰えたらもちろん嬉しい。貰えなくてもそれでいい。

浦島太郎は、海で溺死して、竜宮城という天国から生還した。でも仮死の年月は長かった。彼は果たして幸福だっただろうか。もしかしたら生還を後悔したかもしれない。もしあなただったらどうか。天国に行って、同じように生還が許されたら、あなたはそれを希望するか、それとも拒否するか。

天国のような理想郷をユートピアという。トピアは場所、ユーは無いという意味らしい。どこにも存在しない場所、それがユートピアだ。ユートピアは目に見えるところにはない。現実世界に無理にユートピアを建設しようとする試みは、共産主義も含め、すべて失敗してきた。

青い鳥という童話がある。幸福をもたらす青い鳥を探し求めて旅にでるが、それは自分のすぐ身近にあった。天国も同じかもしれない。遠くにあると思われていた天国が、いまあなたのすぐそばにある。それに気づいた人はすでに天国を自分のものにしている。

天国は退屈極まりない世界かもしれない。酒池肉林も幸せだろうか。すべての欲望が充たされたら天国なのか。本当の天国とはどのようなものか。どこにあるのか。どうすれば実現できるのか。そもそも実現できるのか。飽食の時代に、天国について考える。それも意味あることだろう。