直感 2013.07.07-07.13

僕のルーツは理系であり、論理的な思考をする人間だと思われているかもしれない。でも僕は直感を大切にしたい。むしろ目に見えないもの、説明できないことに、ものごとの本質があるように思えてならないからだ。論理は直感を説明するための手段に過ぎないと思うからだ。

危ないと感じたらすぐ逃げなければならない。欲しいものはすぐ獲得しないと、ライバルにとられてしまう。考えている時間的余裕はない。瞬時に判断して行動しなければ生き残れない。その行動のもとになるのが直感である。直感は、ヒトが動物として生きていくために、必須の機能である。

直感は、もしかしたら本能かもしれない。ヒトにおいて高度に発達した論理的な思考は、大脳の新皮質が担っている。これに対して直感は、脳の奥の本能が関係する部位、例えば線条体が重要な役割を果たしているとの説がある。直感のしくみは、遺伝子に書き込まれているのかもしれない。

直感は、経験の産物でもある。経験に基づく感性の産物と言ってもいい。真実を見抜く感性、善いことと悪いことを判断する感性、美しいものを美しいとして愛でる感性、人を慈しむ感性、人を信ずる感性、逆に危険なことを危険だと感ずる感性、それが直感を支えている。

直感は、人が生きていく上で必要な基礎体力である。にもかかわらず、教育の現場では、直感力を養うことはほとんど行われていない。子どもは教室でなく、むしろ遊びを通じて直感力を身につける。学力偏重の教育において、その遊びがいまないがしろにされている。

直感を働かせるには、全方位のアンテナが張られていること、しかもその感度が高いことが要求される。何事にも好奇心を持つことは、その感度を高める。言い換えると、直感は好奇心がないと働かない。

直感は論理とは違う。直感がなぜ働かないか。それは論理が押さえつけてしまっているからだ。現代人は、直感よりも論理を信じる。説明できないことは切り捨てられる。説明できることの延長に飛躍はない。もっと直感に素直になっていい。