アウトソーシング 2013.07.29-08.03

人が生きていくためにすべきことは数限りなくある。それをすべて個人ですることは効率的でない。他にまかせられるものはそうした方がいい。アウトソーシングである。現代人はそれを前提として生きている。アウトソーシングなしには生きられなくなっている。

アウトソーシングは、もともと自分でしてきたことを、金銭で外注することだ。金銭で電化製品を購入すれば、炊事、洗濯、掃除などの家事のほとんどを任せることができる。自ら動き回る掃除機もある。コンビニへ行きさえすれば、毎日の生活には困らない。生活必需品はすべて手に入る。

人は互いに助け合うこともアウトソーシングするようになった。たとえば、いま地域で助け合うことは、少なくとも都会ではほとんどない。それは行政に委ねられているように見える。行政サービスも、税金という金銭によるアウトソーシングである。

親は、もともとはそれぞれの家庭でおこなっていた教育を、学校あるいは塾にアウトソーシングしている。子どもも、遊びを自ら創意工夫することがなくなった。与えられた遊びがほとんどになった。その多くは何らかの形で、金銭で可能になったものだ。

子育ては保育所や学校にアウトソーシングできる。出産そのものも精子と卵子を提供すればアウトソーシングできる時代がくるかもしれない。それによって人は、出産と子育てから解放される。自分の生活だけを楽しむことができる。しかし、そうなることが本当に幸せなのだろうか。

現代人は、自分の生き方も自ら模索することなく、安易にアウトソーシングしているように見える。出版では、人生のマニュアル本(生き方本)がベストセラーになる。生き方をもアウトソーシングして決めてしまったら、自分のアイデンティティは一体どこに行ってしまうのだろうか。

アウトソーシングの社会にあっては、人は消費するだけの存在となる。物の大切さがわからないから浪費となる。産業社会は、人を消費者とみなし浪費を求めてきた。しかし、人はこれから変わらなければならない。消費者から互いに助け合う創造的生活者へ。もともとそれが人の本来の姿なのだ。