僕がすでに老いの仲間入りをしているかどうかは別として、老いは確実にすぐそこに来ている。それが避けられない以上、いまのうちに老いの生き方について考えておくことは、十分に意味がある。老いたときに、本当にそう生きられるかどうかはわからないけれども。
老いを素直に生きる。いつ死神に、背後から肩を叩かれてもおかしくない。今日かもしれない。明日かもしれない。それが老いである。人は誰でもいつかは死ぬのだから、じたばたしても仕方がない。むしろ素直な気持ちになろう。死神は、この世に未練のある人の肩を好んで叩く。
老いを居直って生きる。どうせすぐ死ぬ身なのだから無責任でいい。何か失敗したら、死んでお詫びをすればいい。そう考えれば、老いという時期は、何でもできる。若いときにできなかった冒険もできる。もしかしたら人生で一番いい時期かもしれない。
老いをおまけとして生きる。グリコというキャラメルには、おまけがついている。小さいとき、それを買って得をした気になった。老いを人生のおまけとして考えれば、得をした気分になる。おまけだから、どのような生き方をしても許される。すべて駄目元で生きることができる。
老いを新鮮に生きる。いま老いは長い。還暦を誕生日だと考えれば、そこから数十年の第二の人生が始まる。過去にすがって生きるのではなく、これからの人生を新鮮に生きよう。第二の人生は、第一の人生よりもはるかに自由だ。将来のことを考えて我慢する必要はないのだから。
老いを刹那的に生きる。明日死ぬかもしれない人生ならば、いまだけを考えて生きよう。若いときのように、明日のことを思い煩う必要がない。毎日が充実していればそれでいい。朝起きたときに、今日も生きていることを実感できれば、それだけでいい。
老いに感謝して生きる。もし人生に老いがなかったら、ずっと若い人のように元気だったら、それこそ死ぬ直前まで働かされるに違いない。老いがあるから、現役を引退させてもらえる。あくせく働かなくても許してもらえる。自分の自由な時間を持てる。老いがあることに感謝しよう。