アマ 2013.09.15-09.21

プロに対してアマがある。アマはもっぱら個人の趣味の世界のこととされ、プロよりも低く見られている。そうだろうか。アマは甘いと言われるけれど、もっと誇りを持っていい。プロにできなくて、アマにしかできないことがあるはずだ。決してアマはプロの予備軍ではない。

アマのいいところは、さまざまな制約から解放されていることだ。報酬を貰っていないから社会からの制約がない。出世する必要がないから自分自身の制約にも縛られない。制約がないから自由にできる。楽しみながらできる。それがときに素晴らしい結果を生む。

天文学では、アマがその分野の進歩に貢献していると聞いたことがある。いまプロは忙しい。研究費の申請や報告書の作成に時間を費やし、もちろん論文も書かなければならない。それに対して、アマは夜を徹して朝まで星を見ていられる。それが大発見につながる。

世の中では僕は顔学のプロと見られているかもしれない。でも僕にはそのつもりはない。アマだと思っている。たとえば、僕は顔の表情筋のそれぞれを原語で言えない。でもアマなりに、アマであるからこそ、顔学に貢献できることがあると信じている。

ロングテールという言葉がある。一部のとがったヘッドだけでなくて、広い裾野のテール部分に価値を見出そうとする考え方だ。プロとアマという意味では、アマがロングテールを担っているとも言える。テールはばらばらでは力にならない。それをつなぐしくみが望まれる。

僕がひそかに尊敬する金出先生の言葉に「素人のように発想して、玄人として実行する」がある。これはプロとしてもアマとしても難しい。プロには、一人の生の人間としての自由な発想を、アマには、甘えを捨てた厳しさを要求しているからだ。

効率を優先した近代社会では、もっぱら分業化が進められ、プロに生産がまかされた。ほとんどの人は消費するだけの存在となった。アマは趣味の世界になった。それが本来の姿だろうか。人はそれぞれ創造的生産者である。一人の人間として生きることに、プロとアマの区別はない。