街の空気  2013.09.22-09.28

旅をして、その土地の街を歩くと、それぞれ空気が違う。それによってその街が好きになったり、嫌いになったりする。もう一度訪ねたい街と、そうでない街がある。何が違うのだろう。何が街の空気を決めているのだろう。

街の空気は、色によって決まるのかもしれない。いま駅前の一等地は、量販店や大衆向けの金融ばかりとなった。なぜか原色や蛍光色が多い。それが売り上げに関係するのだろうか。でも、それは確実に街のイメージを下げている。

街の空気は、音によっても決まる。音は聞きたくなくても、容赦なく耳に入ってくる。音は暴力だ。無神経な音が充満している街は、それだけで避けてしまう。最近では、大音量を流しながら、街を低速走行する広告宣伝車も増えた。

街の空気は、文字通りその空気の質、臭いによって決まる。朝早く街を歩くと、臭いが気になることがある。下水の臭いが漏れているのだろうか。それは街の品格を決める。僕の仕事部屋がある街は、残念ながらまだ発展途上だ。

街の空気は、空を見上げたときの景色によっても決まる。電線だらけの空は、蜘蛛の巣に覆われているようにも見える。戦後の復興期に、安く街を電化するために電柱を必要としたことはわかる。でもそろそろ日本も一流国の仲間入りをしてもいい。そのためには電線の地中化は避けて通れない。

街の空気は、その街の歴史と文化が決めている。イタリアには、数百年前あるいはそれ以上前の街並みをそのまま残している街がある。建物に一歩入ると、そこには現代的な空間がある。でも街は昔のままだ。その街は歴史と文化を大切にしている。その気持ちが、街の空気から伝わってくる。

街の空気は、そこにいる人で決まっているのかもしれない。みなが笑顔で、知らない自分にも気軽に挨拶してくれると、街は優しくなる。逆に、みなが眉間にシワをよせて、せわしなく歩いていると、街の空気も険しくなる。あたりまえの結論かもしれないけれど、街は人なのだ。