生物が生きていくとき、さまざまな危険に晒される。その危険に対して防御する力を免疫力という。文字通り力である。人が生きて行くときも、その力は欠かせない。その免疫力が、いま失われているのではないか。それが気になる。
生まれたばかりの乳児は、まずは感染という危険に晒されている。乳児はその免疫力を母親から受け継ぐ。でもそれは生まれて半年たつと失われる。子どもはさまざまな病気に罹る。親は心配するけれども、子どもは病むことによって自らの免疫力を身につける。
心の免疫力も重要だ。人の社会ではさまざまなことがある。葛藤がある。挫折もある。絶望もある。免疫力がないと生きていけない。子どもはそれを遊びのなかで身につける。遊びの世界は決して美しくない。泣かされることもある。それは心の免疫力をつけるために大切なことなのだ。
母親は、本能的に自分の子どもを守る。さまざまな危険を子どもから遠ざけようとする。その気持ちはわかるけれども、それでは子どもの免疫力はつかない。親はいつまでも子どもを守ることはできない。子どもは自ら免疫力を身につけて、長い人生を一人で生きていかなければならない。
いま子どもたちは、周りの大人から注意されることがなくなった。注意に対する免疫力がついていない。そのまま成人して社会にでて、そこで上司から注意されると、免疫力がないから対応できない。ちょっとした注意でも、自分の全存在が否定されたように受け止めて壊れてしまう。
現代社会では、子どもだけでなく、大人もまた完全管理されている。少しでも危険があると社会はそれを取り除くために躍起になる。現代人は完全管理された空間でしか生息できなくなった。その結果、社会全体の免疫力が落ちている。ちょっとでも想定外の危険があると社会は麻痺する。
免疫力がなければ人は生きていけない。そのためには危険に晒される必要がある。それは文字通り危険なことだ。でも、それがなければ、人は檻や籠の中でしか生息できない家畜になってしまう。外の環境では生きられなくなってしまう。危険は徹底排除するものでなく、共生すべきものなのだ。