つながり 2013.10.13-10.19 

携帯は持っているだけでつながり感がある。Twitterはリツイートされるだけでつながり感がある。Facebookはいいねボタンを押されるだけでつながり感がある。LINEはつながりそのものだ。いまネットは、情報よりもつながりを確認するメディアとなっている。

家族、隣近所、地域、もともと人はそのつながりの中で生きてきた。いまそれが薄れている。家族で一緒に食事をしない家庭も増えた。隣りに住んでいる人の名も知らない。人類が誕生して数百万年の間ずっと続いてきたつながりの形が、ここわずか数十年で変わってしまった。

いまは平常時であればつながりがなくても生きていける。生活に必要なものはすべて金銭で手に入る。でも非常時はそうではない。金銭が使えなくなるから、直接助けあわなければ生きていけない。震災のときに、絆が叫ばれた。みなその大切さを改めて知ったからだ。

つながりは、あればいいというものではない。たとえば、ストーカーとはつながっていたくない。ネットワークは、必要以上のつながり、むしろ避けたいつながりを、人に強制しているところがある。それはネットワーク技術が未熟だからだろうか。コミュニケーション技術の研究者として自問する。

個人情報保護法という保護法がある。これは諸刃の剣だ。プライバシーを守るという意味では強力だけれども、一方の刃でつながりを絶ってしまう。学校や地域で、緊急時に備えた連絡網も作れなくなってしまった。運用を誤ると、社会そのものを崩壊させてしまう。

かつて日本の村落では、村八分というつながりを遮断する差別があった。子どもたちの世界では、仲間はずれにされること、無視されることが、深刻ないじめになる。つながりは、それ自体が一つの基本的な人権なのだ。人はつながりがなければ生きていけない。

もともと人は、地域という単位でつながっていた。助けあっていた。一方で、地域でのつながりは、人を拘束するしがらみでもあった。いま人々は、地域での直接的なつながりを捨てて、その代償をネットに求めている。でも、それは本来の姿なのか。それで人は生きていけるのだろうか。