美人 2013.10.27-11.02

人は美を愛する。美は普遍的に存在する概念なのかもしれない。カントも判断力批判で美について論じている。ところが、その美を人に適用すると話が複雑になる。美人は単純に美しい人ではない。それは美しい女性を指し、特別な意味を持つ言葉となる。

動物の多くは雄が美しい。雄が雌に選ばれる存在だからだ。それが人の場合は、少なくとも近代社会では逆転した。美は女性につける形容詞になった。男中心社会だったからだろう。時代が変われば逆になってもおかしくない。美人は美しい男性を意味するようになるかもしれない。

美人は、かつては男性が女性を評して使う言葉だった。でもいまは、必ずしもそうでない。雑誌では、美人は、女性誌の特集に登場することが圧倒的に多い。たとえば「○○美人になろう」。いまや美人は、男性目線でなく、女性自らが目指す理想像となっている。

美人はなぜ美しいか。禅問答のような問だけれども、それには意味がある。美人は周りから見られる存在だ。いつも見られているという適度の緊張感が、美人を美しくする。人は見られることによって美しくなる。

美は差別に結びつく。それを理由にミスコンを否定する人もいる。僕は思う。ミスコンだけでなく、年代別のミズコンをすればいい。ミス20代だけでなく、ミズ40代、ミズ70代、そしてミズ100代。それぞれの年代に美人はいる。歳をとればとるほど美人になる人もいる。

美人を集めてそれをテーマにしてシンポジウムを企画したことがある。みな出演を嫌がった。美人ほど自分が美人であることを否定する。美人をビヒトと呼ぶシンポジウムにしたら、みな喜んで出演してくれた。シンポジウムは、美人(ビヒト)談義で盛り上がった。

美がなければ生物は生きていけない。花が美しいのも、生きるために必要なことなのだ。動物にとっては、美は種の繁殖のために互いを惹きつける魅力となる。美がなければ、その種はおそらく絶滅する。その意味では人が美人を好むのは当然かもしれない。美人をどう定義するかは別として。