相対化 2014.01.12-01.18

近代になって、宇宙の見方は地動説となり、自分自身を相対化した。一方で、人の考え方は、逆に地動説から天動説に変わってしまったような気がする。自分が絶対で、すべてが自分中心に回っていると勘違いしている。そのような時代だからこそ「相対化」が必要になる。

「時間」を相対化する。今という時代を相対化するには、歴史を学ぶといい。歴史は、今が過去から未来へ流れる時間の、ほんのわずかな瞬間でしかないことを教えてくれる。ところが人は、今を絶対化してしまう。今しか考えないから、過去からの遺産を食いつぶし、未来へ負の遺産を残してしまう。

「空間」を相対化する。いま時代はグローバル化している。そのような時代にあって大切なことは、日本という国を相対的に外側から見ることだ。それは決して日本を世界にあわせることではない。むしろ相対化することによって、日本が果たすべき役割が見えてくる。

「人」を相対化する。ある都市で、摩天楼の上から地上を眺めたときに、そこを歩く人たちが蟻の群れのように見えた。地球には、さまざまな動物が生息している。人(ヒト)はその一つに過ぎない。それがいま、わがもの顔で地球を支配しようとしている。

「自己」を相対化する。それは他者の目で自分を見ることだ。自分で見る自分と他者から見える自分は違う。それによって多様な自分を発見できる。がんじがらめになっていた自分から解放される。いままで知らなかった本当の自分を発見することができる。

「生」を相対化する。人が誰でも怖れる死は、自分が絶対だと思っている限り克服できない。人は、先祖から生物学的さらには文化的な遺伝子を受け継ぎ、それを子孫に伝えていく、いわばタスキをつなげる駅伝走者のようなものだ。死を受け入れるには、そのような生の相対化が必要になる。

「相対化」は、自らを井の中の蛙とするのではなくて、もっと大きな世界から自らを見ることだ。遠くから眺めることだ。客観的に見ることだ。それによって、それまで絶対だと思っていたことが、そうでないことに気づく。傲慢を捨てて謙虚になれる。自由にもなれる。