一割 2014.01.19-01.25

最近、1割という割合にこだわっている。残りの9割にくらべればわずかであるけれども、9割とは違う1割を大切にすることが重要だと思うからだ。それは役に立たない1割、無駄な1割であっていい。いやそうでなければ1割の意味はない。

1割は、ストレスに満ちている日常に許された、非日常的な癒しの時間である。たった1割と思うかもしれないけれども、ときにこれを確保することが難しくなる。贅沢は言わない。どのようなときでも、気持ちだけでもそのような1割の時間を確保するようにしたい。

1割は、未来に対する投資である。とりあえずは何の意味のないことに対して割り当てる1割があるかどうかで未来が決まる。それは、今に対する心の余裕かもしれない。未来への投資を忘れて、今だけに精一杯になってしまったら、そのうちに必ず限界がくる。

1割は、生き抜くための最低限の多様性の確保である。すべてを投入した一点突破は、今を勝つためには必要かもしれないけれど、状況が変わった時には対応できない。多様性の大切さは、進化論の教えるところだ。生物はみな、多様性を確保して生き残ってきた。

1割は、自分以外に捧げたい。旧約聖書では、収入の十分の一を教会に献金することを勧める。十一献金という。教会に叱られそうだけれども勝手な解釈をすれば、収入の9割は自分のために使ってもいいけれども、1割は自分を支えているものに、感謝の気持ちを込めて捧げなさいという意味だ。

1割は、9割に比べれば少数派かもしれない。でもその1割を大切にする社会であってほしい。1割には9割の誤りを正す役割がある。もちろん1割はそれ自体で意味を持つ。それを忘れて1割を切り捨てる社会は、結局は自らを滅ぼすことになる。

1割は、個人的に研究者としても大切にしたい。大型の研究費を獲得すると、すべてが関連した研究になりがちであるが、それでは自由な発想は生まれない。国の研究費も、1割程度はすぐには成果がでない研究に割り当てないと、本当の意味でのイノベーションは生まれない。