幸せ 2014.02.23-03.01 

大金持ちでも、社会的な地位があっても、不幸な人はたくさんいる。すべてを得てしまった人は、後は失うだけだから、不幸なのかもしれない。幸せとはなんだろうか。今の自分は幸せなのだろうか。自分のことはさておいて、誰もが憧れる幸せという大問題について勝手に考える。

他人をいつも気にしている人は、幸せに見えない。不幸は、他人と比較することによって生まれる。すぐそばに幸せそうな人がいると、自分が不幸に思えてしまう。その人が本当に幸せかどうかわからないのに。その意味では幸福があるから不幸があるとも言える。

時代に乗り遅れまいといつも焦っている人は、幸せに見えない。時代に対していつも憤っている人も、それは必要なことかもしれないけれども、幸せに見えない。むしろ目紛るしく変化する時代に、楽しみながら行動する心の余裕がほしい。すべてを楽しむことができれば、その人は幸せである。

それまでの努力が報われたとき、人は幸せな気持ちになる。自分なりによく頑張ったという達成感から来るのだろうか。他人から褒められたときも嬉しいけれども、一番嬉しいのは、自分で自分を褒めることができたときかもしれない。

幸せな人とは、周りに幸せを分け与えている人かもしれない。分け与えているから、周りの人はみな幸せになる。そうなれば、幸せな人に囲まれて生きることができるから、自分も幸せになる。幸せは独占するものではない。むしろみなで共有するものなのだ。

すべてのことに感謝できる人、そのような人は幸せと言えるだろう。逆に、不満ばかり言っている人は幸せには見えない。死ぬ直前に、自分の人生は幸せだったと感謝できれば素晴らしい。そのような人生を僕は送りたい。

幸せな人とは、一言で言えば、自分は幸せだと思っている人なのだろう。たとえば生きているだけで幸せだと思うことができれば、それは生きている人に共通に与えられた公平な幸せだ。思うだけでいいのだから、誰でも幸せになれる。あなたも今からなれる。