口 2014.03.02-03.08

新約聖書のヨハネ福音書の冒頭には「はじめに言葉があった」とあるけれども、顔には「はじめに口があった」。しかしそれは言葉を発するためでなく、生きていくためのエネルギーを取り入れる場所だった。目や鼻や耳などの感覚器官は、口の周りにその後にできた。

ハローキティのキティ・ホワイトの可愛い顔を見るたびに思う。どのようにして生きているのだろうか。キティには口がない。何も食べられないから生きることができない。声も出せない。顔学的にはあり得ない。それがキティ・ホワイトの顔である。

ワニは口を大きく開くことができる。頬がないからだ。それに対してヒトは頬があるので口は小さい。哺乳類には頬がある。哺乳類は、その名の通り赤子のときに母親の乳を飲む。吸いながらこぼれないように飲むためには、頬が必要となる。

一般に動物は、口の周りの皮膚が固い。それは口そのものが敵への攻撃道具だからだ。でも人は直立歩行によって手が自由になり、敵への攻撃を手でできるようになった。結果として口が固い必要はなくなり柔らかくなった。表情が生まれ、多様な音声を発することができるようになった。

ヒトは、他の動物に比べて口が引っ込んでいる。自由になった手を使って食物を口へ運ぶことができるから、前にとびだしている必要がなくなった。実はゾウの口も、ヒトと同じように引っ込んでいる。それは長い鼻で食物を口に運ぶことができるからだ。ゾウの顔は鼻がなければヒトとよく似ている。

日本では、女性の口は小さい方がいいと言われた。おちょぼ口である。なぜ小さい方がよかったのだろう。口が小さいと、口数が少なく淑やかな女性のイメージがあるのだろうか。いまは違う。活発で快活な女性の時代になった。大きな口の女性がもてはやされるようになった。

日本人の未来顔は、口とくにあごが小さくなるという説がある。生活が豊かになって柔らかいものしか食べなくなるからだ。未来顔はあごが小さいから歯並びが悪い。固いものを咬めないから胃も悪い。睡眠時無呼吸症にもなる。人類の滅亡へ至る弱々しい顔である。実は僕の顔がそうなのだ。