大学も含めてほとんどの高等教育研究機関は、それぞれの専門に分かれている。科学も「科の学」として発展してきた。そのような専門知に対して、いま総合知の重要性が叫ばれている。僕もそれを主張してきた。なぜ総合知なのだろう。そもそも総合知とは何なのだろう。
なぜ総合知なのだろう。科学の対象が複雑になってきたからだ。例えば、環境問題や社会の安全・安心など、最近の課題は、従来の専門知の組み合わせでは解決できない。かつての天体力学のように変数が少ないときは専門知だけでよかった。変数が多くなると、総合知が必要とされる。
なぜ総合知なのだろう。目標の体系が見えにくくなったからだ。かつては大目標(最終目標)と小目標(それぞれの専門の目標)の関係が明確であった。小目標だけを追求すれば、それが例えば人類の幸福という大目標に結びついた。いまは違う。矛盾がでてきた。全体を見ることが必要になった。
総合知は、全体を俯瞰し、その構造を見いだして総合的な判断を可能にする知である。その意味では総合知は俯瞰知である。全体を俯瞰することによって初めて見えてくるものがある。それぞれの専門知をそこに位置づけて、それらを新たな観点から見直すこともできる。
総合知は関係知である。それぞれ個別の対象ではなくて、むしろそれらの関係を問題にする。関係は組み合わせの数だけあるから膨大だけれども、その関係にも法則がある。科学はいま、個別の学から「関係の学」へと発展しようとしている。
総合知は学際知である。それぞれの専門分野のさらなる深化を図ることも重要であるが、異分野に接することによって得られる刺激が、学問を質的に大きく飛躍させる。視界も開けてくる。井の中の蛙になってはいけない。
総合知は開放知である。異なる専門分野、さらには非専門家にも開放する。それによって初めて総合的な視野を確保することができる。非専門家までも広げたさまざまな多様性の中から、新たな展開が可能になる。その意味では総合知は、ロングテール的な集合知でもある。