共創  2014.03.23-03.29

いまや「競争」の時代である。学問の世界も例外ではない。大学や公的な研究機関は法人化され、研究者も任期がつき、そこでは競争が鼓舞される。このような時代にあえて言いたい。これからは競争だけではやっていけない。むしろ「共創」が大切になると。

これまでは、研究成果の社会展開は産業の役目であった。競争環境下にある産業は、当然ながら特許あるいは知的財産として研究成果の独占を図る。これに対して共創では、むしろ公開を旨とする。独占ではなくて共有することによって得られる利益を重視する。

共創の場では、最も大切な研究開発のツールをも公開してしまうこともある。公開されているツールを利用すれば、研究をツールの開発からやらなくてもいい。数多くの研究者が比較的容易に参入できる。裾野が広がれば、技術は全体として飛躍的に発展する。 

共創において最も大切なことは自慢かもしれない。それぞれが創意工夫して自慢する。それが素晴らしければみなで拍手する。それを有難く利用させていただいて、さらなる工夫をおこなう。そして、その成果を自慢する。最初に工夫した人は、自分の成果が役にたったことを喜ぶ。それが共創だ。

共創は、研究の社会実装のしくみを変える。研究が終ってから成果を社会に出すのではなくて、研究と並行して社会実装する。社会を研究開発に巻き込めば、それによって社会も変わる。その意味では研究は社会運動でもある。それが新たなイノベーションを生み出す。

共創は、産業の立場から消費者を巻き込んだ製品開発の一手法として注目されることもあるけれども、僕はむしろ消費者が創造の担い手として主導権を握る共創に注目したい。生産者対消費者という枠組みがなくなって、個人がそれぞれ創造的生活者となれば社会は変わる。もちろん産業も変わる。

共創は、情報の分野では先行している。それはネットワークがあるから可能になった。いまやネットワークは、情報だけでなく、人の創造的な生活すべてにおいて共創の場となろうとしている。いやそうならなければいけない。時代は変わろうとしている。