関係 2014.04.20-04.26

僕は、コミュニケーションを専門としてきたこともあって、ものごとの実体そのものよりも、それらの「関係」に興味を持ってきた。関係は組み合わせの数だけあるから、実体のそれぞれを探るよりも、はるかに複雑である。複雑だけれども、そこに本質がある。

近代科学は要素還元主義をとり、学問もまた専門に分化することによって発展してきた。これに対して、細分化されてしまったそれぞれの専門領域の間の「関係」に着目して、そこに新たな発展を期する試みを学際という。僕の研究者としての後半生は、その学際に関心があった。

「関係」に着目しなければ本質がわからない。いまさまざまな分野でそのような認識がなされている。たとえば人がコミュニケーションで使用する言語は、その意味内容は話す人と聞く人の関係によって決定される。そもそも人そのものが、社会という構造との関係の中にあるのだ。

顔も、それぞれが単独で存在しているのではなくて、見る人と見られる人の「関係」の中にある。同じ顔も見る人によって異なって見える。見る人がその人にいいイメージを持っていると、顔はよく見える。逆に悪いイメージだと悪くなる。顔は関係で決まる。

人間は、人と人の間、つまり「関係」の中で生きている。自分中心ではいけない。相手を尊重しすぎてもいけない。近すぎてもいけない。遠すぎてもいけない。相手との距離をどうデザインするかが鍵となる。たとえば恋愛も、自分と相手の関係を楽しむゲームである。

もともと動物としてのヒトは、地球あるいは自然というシステムにおいて、他のさまざまな構成要素との「関係」の中で進化してきた。いま人類はそのことを忘れてしまったかのように見える。独裁者気取りの人類には未来はない。

僕にとって、ものごとがわかるということは、その「関係」が見えてくることだ。単なる羅列では何もわからない。それぞれの関係が見えたときに、ものごとが意味を持ってくる。そして、全体を俯瞰できたときに、それぞれが位置付けられて、構造が見えてくる。初めてわかったという気になる。