電車の中で、母親と娘の二人連れが前に座っている。一目で親子であることがわかる。歳は親子ほどに違うのに、顔が瓜二つだからだ。「顔が似る」とはどういうことなのだろうか。ちょっと好奇心をだしたら、その親子がこちらを見て変な顔をした。やばい!
顔には、その人の印象を決める特徴がある。たとえば眉の太さや鼻の形、瞼が一重か二重か、顔の形も重要だ。そのような特徴は遺伝しやすい。最近、はとこ(再従兄弟)どうしで、4組の兄弟が集まる機会があった。誰が真の兄弟であるかはすぐわかった。顔がよく似ていたからだ。
似た者夫婦という言い方がある。本当に夫婦の顔は似るのであろうか。そう主張?する大学教授(実は僕)の仮説を検証するテレビ番組があった。その番組は商店街でともに商売をする夫婦を中心に取材した。本人同士は似ていることを否定するけれども、ふと見せる表情は同じだった。よく似ていた。
飼い主はペットと顔が似るという話もある。自分と似た顔に愛着を感じて、そのようなペットを選んでいるのかもしれないが、それだけでもなさそうだ。ある僕の友人は愛犬と真正面から顔を突き合わせて話しかける。そのときの顔は口を突き出して、愛犬と同じ顔になっていた。
職業で顔が似るという説もある。銀行員は銀行員らしい顔をしている。平均顔を合成するといかにもそれらしい顔ができあがる。ある職業につくと、無意識のうちにその職業で期待される顔になっていくのかもしれない。顔はその意味では職業を示す名詞でもあるのだ。
「顔が似る」ことと「顔が似て見える」ことは違う。後者には視点が関係する。たとえば女子高生の顔は、女子高生同士ではそれぞれ違って見える。その顔が中年男性からはみな同じに見えてしまう。おそらく女子高生からは、僕のような中年(老年?)の顔は、みな十把一絡げなのだろう。
二人がいい関係にあると、顔も似てくるのかもしれない。少なくとも第三者からは、顔が似てくるといい関係に見える。たとえば似たもの夫婦は、そう見えたとき、仲良さそうな印象を与える。電車で見かけた母親と娘も、僕の目からは微笑ましい親子だった。