対称性の乱れ 2014.05.25-05.31 

対称と非対称、どちらが好きかと問われれば、僕は後者を選ぶ。自然界の基本は対称であり、物理法則もほとんどは対称性が成り立つ。でもすべてが対称ではつまらない。何も変わらない。何事も面白いことは対称性が乱れることによって生まれる。

対称性の乱れが宇宙を生んだ。インフレーション理論によれば、対称性の破れによる真空の相転移でビッグバンが起こり、ワインバーグ・サラム理論によれば電磁力と弱い力が分岐し、南部理論では素粒子が質量を持った。僕はまったく理解できていないけれども、そういうことらしい。

対称性の乱れが生物を進化させる。生物は、外見は対称なものが多いけれども、そこには巧妙に非対称性が仕組まれている。生物はその発生と分化においても、あるいは進化の過程においても、非対称性あるいは対称性の乱れが本質的な役割を果たしている。

対称性の乱れがヒトの脳を発達させた。下等動物のほとんどは、脳は左右対称で機能の差はない。ヒトは限られた脳を有効に活用するために、右脳と左脳に機能分担させた。たとえば言語中枢は左脳にある。僕自身はいわゆる右脳・左脳論は好きではないけれども、その機能連携には興味がある。

対称性の乱れが魅力を生む。人体は顔も含めて、対称であるほど健康であると言われる。でも魅力は別だ。たとえば全身を真正面から左右対称に撮影したら、まったく面白味のない写真になってしまう。むしろ対称性の乱れにその人の個性がでる。その個性が魅力となる。

日本文化は対称性の乱れから生まれる。西洋の庭園は対称に設計されることが多いけれども、日本庭園は非対称だ。茶器も、名器と呼ばれているものは、形がゆがんでいたり、ひび割れがあったり、うわぐすりが均一でなかったりする。日本人はその非対称な不安定さに、美を見出す。

対称性の乱れは、言い換えればそれまでの秩序が崩れることである。安定であったものがそうでなくなることである。静止しないで揺らぐことでもある。我々を取り巻く環境は常に揺らいでいる。その揺らぎに適応するには、対称性を乱して、自ら揺らぐ以外にない。