点と線 2014.06.15-06.21

松本清張の有名な長編推理に「点と線」がある。数十年前に初めてこの小説を読んだときに、何よりもこのタイトルに感動した。そうなのだ。この世は点と線なのだ。人間関係もそうであるし、学問の世界もそうだ。社会や自然もまさに点と線の組み合わせで成り立っている。

点は孤立している。点は点である限り、それ自体では意味を持たない。線で繋ぐことにより、それぞれの点の関係を定義することができる。関係を持つことによって、それぞれの点が位置づけられる。さらにはその関係によって、それぞれの点が変容していく。

スティーブ・ジョブスの名言。点と点の繋がりは予測できない。あとで振り返って点の繋がりに気付くだけだ。点と点は必ず結ばれる。とにかくそれを信ずることが大切だ。点は知識であり、点と点を線で繋ぐのは経験である。その繋がりが創造を生み出す。

素粒子物理学でも、粒子は点でなく線(ひも)であるとする説が注目されている。確かに、ゼロ次元である点も、遠くからは点に見えても、拡大すれば一次元のひもであるかもしれない。さらに言えば、一次元の線に、より高次元が隠されていてもおかしくない。

互いに影響を及ぼしている複数の点の振る舞いを解くことは、多体問題と呼ばれている。これはごく一部の例外を除いて解析的には解けない。その難しさは、物理現象でないけれども、人間関係で我々は実感している。三人寄れば文殊の知恵になることもあれば、単に姦しくなることもある。

線には向きを持たせることが出来る。関係は決して対称ではない。男女関係を見ればわかる。男と女を線で結んでも、その線は対称的でないことがはるかに多い。少なくとも僕の経験ではそうだ。だから関係は面白い。一筋縄ではいかないことが面白い。

線は、それ自体にさまざまな意味を持たせることができる。列車のダイヤグラムでは、列車の運行は線で示されている。その線を眺めているだけで、想像を逞しくすればドラマが生まれる。そういえば松本清張の「点と線」は、そのような小説であった。