自己責任 2014.07.06-07.12 

観光地などでちょっと危険な場所は、日本では「立入禁止」だ。それに対して米国では“Enter at your own risk ”の看板が目立つ。この違いは何なのだろう。もし掲示が「自己責任でお入りください」となっていたら、日本人は戸惑ってしまうのだろうか。

ヒト以外の動物は、野生の環境でみな自己責任で生きている。ところがヒトはその責任をも、アウトソーシングするようになった。すべてに管理者がいて、責任は管理者が負うようになった。アウトソーシングしたから、それぞれが責任を負うことはなくなった。それを当然と思うようになった。

自己責任とは自らの行動に対して責任をとることだ。それができる人を大人という。子どもはなかなかそれができない。子どもは大人になるための準備期間だ。ところがいまは見かけだけの大人が増えてきた。自己責任がとれないから、すぐ他人さらには社会に責任を転嫁する。

現代型うつあるいは新型うつと呼ばれている病気がある。会社にいる間はうつで仕事が手につかないが、カラオケなど会社以外の場所ではむしろ行動的になる。この病気の特徴は、すべて他人の責任にすることだ。その意味ではまさに現代的な病気であるが、未来の先取りかもしれない。

自己責任は諸刃の剣だ。それを強調しすぎると、自己責任ならば何をしてもいい、さらには互いに助け合わなくていいということになる。自己責任で自分を守るために銃を持つ権利があるということにもなる。そのような論理が通用している国もある。

訴訟では、まず自分に責任がないことを主張する。訴訟は、弱者を救う仕組みでもあるけれども、乱用されると自己責任がない社会となる。一方で、訴訟を避けるためにとりあえず立入禁止の看板を立てる。とりあえず本人に署名捺印させる。そのような「とりあえず」が、まかり通る社会となる。

人は基本的には自己責任で生きていかなくてはいけない。一方で、人は助け合って生きる動物だ。自己責任と助け合いは決して矛盾しない。自己責任がないところに真の助け合いは生まれない。いま、そのどちらもがおかしくなっている。

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