自己家畜化 2014.07.13-07.19

現代社会では、ほぼ全てのことに管理者がいる。それを当たり前であると思うようになった。現代人は、いわば家畜のような管理されている存在になった。もはや野生では生きていけない動物となった。それを人類学用語で「自己家畜化」と呼ぶ。

家畜は人工環境のもとに置かれ、食料が自動的に供給され、自然の脅威から守られている。さらには飼い主によってその繁殖が管理され、品種改良もおこなわれる。その結果、身体も野生から大きく変わっていく。いままさに人そのものが、家畜になっている。

自ら家畜になってしまった人は、管理者から生き方マニュアルが渡されないと不安になる。いま書店ではそのような生き方マニュアルが溢れている。生活だけでなく安全も管理者が保証してくれないと安心できない。万が一のときの家畜の安全は、みな飼育者=管理者の責任だからだ。

「千と千尋の神隠し」に、両親が豚になってしまうシーンがある。それは自己家畜化した現代人の姿にも見える。このような表現をして申し訳ないけれども、海の向こうの先進国の一部の人々の姿を重ね合わせてしまった。先進という意味では、その姿は未来の先取りかもしれない。

もともと生物は、与えられた「自然環境に自らを適応」させることにより生き延びてきた。人類は、一万年前の農耕開始以来「自然環境を自らに適応」させるようになった。そして現代人は、自然環境を改造して作りあげた「人工環境に自らを適応」させて、そこに飼われている。

人類はいま、家畜化した自分自身の品種改良に乗り出そうとしている。もともと生物は、変異と淘汰を繰り返すことにより自然進化してきた。遺伝子を人為的に操作すれば、自然進化ではなく計画進化が可能となる。計画進化によって、人類はこれからどうなっていくのだろう。

人類は、自分自身を完全管理されている家畜としてしまった。自分が家畜になっていることを、人はみなどこまで自覚しているのだろうか。飼いならされた現代人は、もしかしたら身体だけでなく、心まで家畜になってしまったのかもしれない。それはそれで快適なことではあるけれども・・・。