人工知能 2014.07.20-07.26

直接の専門ではないけれど、人工知能は比較的近い分野であるので、ときどき質問を受ける。「このままコンピュータの人工知能が進歩すると、それは人間を凌駕してしまうのですか。そのとき人間はどうなるのですか。」

コンピュータの人工知能がプロの棋士に勝ったことが話題になっている。機械の方が優秀になる。それは人間の危機なのだろうか。僕はそうは思わない。すでに人間よりも優れた能力を持つ機械はたくさんある。たとえば自動車は人間よりも速く走る。人間はそれを活用すればいい。それだけの話だ。

コンピュータが生まれたのは1946年、僕が生まれたのは1945年。ほぼ同世代だ。生まれてこのかた、どちらの知能の方がより成長したか?ほとんどの人はコンピュータだと言うけれども、僕は物理的に自己増殖している。僕とは異なる知能を生んでいる。その意味では僕が勝っている。

大切な人が死ぬと悲しい。コンピュータだったらどうだろうか。バックアップをとってあればもう一度復元できる。将来、脳の中身をすべて人工知能にバックアップできても、大切な人は生き返らない。少なくとも僕にとっては、人工知能は決して代わりにはならない。

私見ではあるけれども、人工知能の問題の本質は、それがどこまで進化するかではない。むしろ怖いのは、人自身がそれによって思考停止に陥ってしまうことだ。人の知能が退化してしまうことだ。そのとき人は、自分自身の脳を人工知能におきかえて、思考はそれにまかせてしまうのだろうか。

脳が強い人工知能におきかわって知能増幅したときに、その知能が何をするか。それは技術的特異点の先にあって、我々には想像できないとする説がある。そのとき人類はポストヒューマンと呼ばれる別の存在となっているからだ。でもそれは、知能ではなく、人の欲望の問題のように僕には見える。

生命には38億年の歴史がある。コンピュータは誕生してからわずか数十年だ。そのうちに人工知能が人間におきかわって、人類そのものが滅亡してしまうかもしれない。もしそうなったら、人類はその程度の生物でしかなかったということだ。そうならないための智慧が人類に問われている。