バリ 2014.08.24-08.30

縁あって誘われて、南国のバリを訪れる。十数年ぶりであるが、僕の身体はバリを覚えていた。なぜかわからないけれども、バリには懐かしい未来がある。なぜ懐かしいのか?なぜそこに未来を感ずるのか?それが今回の旅の目的となった。

日本から見たバリのイメージは何だろう。椰子の木に囲まれた南の海の島。確かに観光客は海に潜るためにバリを訪れる。しかし島の内部に入ると、そこが農業国であることがわかる。棚田が一面に広がる。それはまさに日本の原風景だ。

バリは、島全体が一つの生命体のようだ。その生命体になくてはならない血管系として、稲作のための独特の水利システムがある。それは長い進化の歴史を経て獲得された。その血管系がバリの社会をつくっている。人と人のつながりも生んでいる。バリには自然と人が見事に一体化した営みがある。

海辺の観光地は必ずしもそうでなくなったけれども、もともとバリに住む人たちは、職業に関係なく午前中は農作業をする。例えば寺の僧侶も、普通に農作業をして、祭りのときだけ僧侶としての役割を担う。人が生きるためにすべきことを当たり前のようにしている。それがバリだ。

ケチャ、ガムラン、バロンダンス。それらはバリの伝統芸能のように思われているが、歴史は古くない。いずれも1930年代の植民地時代に、バリが生き残るための戦略として生まれたものだ。バリはオランダに占領されたけれども、軍事ではなくて文化で対抗した。それがいまのバリを支えている。

バリの文化は二つの顔を持つ。観光客のための外向けの文化と、バリ社会に固有の文化。ケチャ、ガムランなどは前者だ。観光客はいつでも見物できる。一方の後者、たとえば深夜におこなわれるチャロナラン劇は、一見の客にはほとんど見せない。バリには巧妙な文化のシステムがある。

バリには、村ごとに絵画、彫刻、音楽とそれぞれ異なる文化の営みがある。村の人たちはみな一流のアーティストだ。それは生活の一部になっている。何よりもごく普通の人たちが、当たり前のように質の高い文化の担い手であることに感動する。それが本当の文化なのだろうと思う。