老人とメディア 2014.09.21-09.27

メディアのリテラシーは若いときのメディア体験によって決まる。おそらく近い将来こう言われるだろう。家のおじいちゃんとおばあちゃんは、毎日部屋に籠って、ネットばかりやっているの。あの世代は若い時にそうだったから仕方がないのね。可哀想な世代なのよね。

メディアはもともと老人向きなのかもしれない。足腰が弱くなって街を歩けなくなった老人にとって、メディアはまさに手足なのだ。実際に訪れることが難しい遠方も地にも、メディアを通じてならば、実質的に現実と同じ体験ができる。まさにバーチャルリアリティである。

いま、老人がメディアに弱いことを心配して、極端に機能を減らしたらくらくフォンとか言うメディアがある。でも、心配することはない。じきにメディア中毒の老人ばかりになる。問題は、それまでのわずかな過渡期をどうするかだけなのだ。

「明るい寝た切り生活」という標語を@_anohitoから聞いて感動したことがあった。老後を殺風景な病室の壁と天井だけを眺めて過ごすのではなくて、メディアを駆使して自由自在に世界の観光地巡りができれば、それこそ優雅な人生となる。そうなれば老後もまた楽しくなる。

老人の物忘れにも、メディアはいい。自分の体験をライフログとしてきちんと記録しておいてくれる。亡くしものをしても、ログを参照すれば、見つけ出せる。人に会った時、名前が出てこなくても、スマホのカメラを向ければ、誰であるかを認識して教えてくれる。

老人は嫌なことは忘れて、いいことだけを覚えている。だから幸せに生きることができる。長い人生で経験した嫌なことをすべて覚えていたら、あるいはそれをすべて記録したメディアがあって、それを見せつけられたら、老人は発狂するか、懺悔だけの人生になる。とても生きていけない。

2年半前に、脳幹の血管が詰まる病気をして、言語機能がおかしくなり、箸も持てなくなったことがあった。しかし、驚くことにキーボードだけは何の不自由もなく打てた。病室からメールを打ちまくり、それが結果として指のリハビリに大いに役立った。まさにメディアのおかげだった。