九十九匹と一匹 2014.09.28-10.04

九十九匹の羊と一匹の羊、大切なのはどちらだろう。最近はやりの数値評価では九十九匹だ。多い方がいいに決まっている。近代という時代は、全体の総和に価値を見出してきた。頭で考えると確かにその通りだけれども、果たして本当にそうなのかと、いつも思ってしまう。

九十九匹の羊と一匹の羊、どちらを選ぶか。もしその一匹が自分だったら、考えるまでもなく一匹だろう。自分でなくても、それが大切な人だったら、迷わず一匹を選ぶだろう。なぜなら、それはかけがえがない一匹だから。一匹の存在が他の九十九匹よりも遥かに大きいから。

あるとき社会的に重要な役職にある方が、突然辞任された。奥様の介護が理由であった。社会に対して無責任だとの批判もあった。でも、その役職には代わりがあるけれども、奥様の配偶者は一人しかいない。当時はびっくりしたけれども、今では理解できそうな気もする。

社会的に偉い人と見做されているのは、国や世界を相手にして、社会にいる数多くの人々のために働いた人だ。勲章はその人たちに与えられる。僕も尊敬する。一方で、身近なわずかな人のために尽くしている人も、僕は偉いと思う。たとえ勲章はもらえなくても。

人は注目されると嬉しい。社会的に有名になって、数百万人から注目される。それは名誉なことだ。一方で、身近な数十人、さらにはたった一人の大切な人から注目される。それを何よりも嬉しく思ってもいい。それはその人の価値観、そして人生観だ。どちらもあっていい。

かつて僕は、少なくとも研究では、世界を相手にしていた。いまは、顔を知っている身近な人を相手にすることが多い。たとえば毎月開いている個人講演会も、数十人が相手だ。なぜと問われると困るけれども、年齢がそうさせるのだろうか、そのような生き方もあっていい。そう思うからだ。

九十九匹よりも一匹を選ぶ。それは、九十九匹を相手にできる人から見れば、一匹しか相手にできない負け惜しみのように聞こえるかもしれない。負け惜しみでもいい。最近そう思うようになった。そう思うこと自体が、負け惜しみなのだろうけれども。