1969年は東大安田講堂攻防戦から始まった。色々な意味で激動の年であった。それは技術の歴史という意味でも記念すべき年になった。当時大学院の修士の学生であった僕自身にとっても、1969年は忘れられない一年となった。
1969年、何と言ってもアポロ11号によって、人類が初めて月面に偉大な一歩を記した年として有名である。しかしアポロ計画は、20号まであった計画が17号で中止された。その後は安く使い回しができるスペースシャトルになり、さらにはアメリカの宇宙開発は民間委託になってしまった。
1969年、英仏共同開発の夢の超音速旅客機コンコルドが初飛行した年でもあった。ところがそれは不幸な運命を辿った。騒音が理由で航行できる路線が限られ、2000年に墜落事故を起こしてしまった。2003年に営業飛行が終了し、超音速旅客機はいま世界のどの空も飛んでいない。
1969年、もう覚えている人は少ないかもしれないけれども、夢の原子力船とされたむつが進水して、記念切手も発売された。ところが1974年の試験航行中に放射線漏れ事故を起こしてしまった。母港への帰港が拒否されて洋上に漂泊せざるを得なくなり、その後1993年に原子炉が撤去された。
1969年、インターネットのルーツとされるARPANETが運用開始された。その前年にはエンゲルバートによって対話型コンピュータの実験が行われ、アラン・ケイによってパーソナルコンピュータの概念が提唱されている。交通技術の絶頂であったその時期は、情報の時代の幕開けでもあった。
1969年、個人的には、その年の正月に思いついた高能率な符号伝送の方式が、僕の研究者としての出発点になった。その方式は2006年に、インターネットの基盤となっているイーサーネットの世界標準の一つに採用された。
1969年から数えてはや45年、あっという間だったけれども、時代は大きく変わった。技術も変わった。東大安田講堂攻防戦は若い人から見ればはるか過去の事件かもしれないけれど、昼は学生運動にもまれ、夜は研究に没頭したその時期は、さまざまな意味で僕にとって貴重なルーツとなった。