四季 2015.02.01-02.07

南国の樹木には年輪がないと聞いたことがある。四季がないからだ。一年中快適な気候だとそれなりに住みやすいかもしれないけれども、味気ない気もする。日本の文化に四季は欠かせない。四季があるから文化を楽しむことができる。自然とともにある人生を楽しむことができる。

自然にはさまざまなリズムがある。四季はその一つだ。一年を四つに区切っているところがいい。夏と冬だけだったらつまらない。中間に春と秋があることによって、一年が楽しくなる。俳句にも季語がある。春と秋も含めた四季がなかったら、おそらく俳句は生まれなかっただろう。

春には、夢がある。未来がある。正月も冬の真最中なのに新春という。青春という言い方もある。春夏秋冬も春から始まる。春はすべての始まり、旅立ちの季節だ。今日は節分、季節の分け目。そして明日は立春。僕も新たな人生へ向けて旅立つことにしよう。

夏は開放的なところがいい。学生時代には夏休みというものがあった。いま自分に自由な時間があると思うだけで、気分が開放的になった。行動も開放的になった。夏が終わると自分の青春が、これで終わったような気がした。夏はそういう季節だった。

秋には哀愁がある。僕はそれが好きだ。秋の夜長に人生を考える。自分を振り返ることもできる。哲学的な気分になったときもあった。夏の行動的な季節が終わって、ちょっと立ち止まる時間、それが僕にとっての秋だった。

冬は寒さが厳しいけれども、身が引き締まる。それは耐える季節である。自然もじっと耐えている。耐える一方で、自然は見事な美を生み出す。白銀は、一面を白一色に染める。あたかも、この世の醜さをすべて覆いつくすかのように。

いま日本に四季がなくなっている。そのように思うのは僕だけだろうか。特に、春と秋がなくなった。寒い冬は、あっという間に暑い夏となり、そしてまたすぐ冬になる。何かがおかしくなっている。自然がおかしくなっている。文化もおかしくなっている。