ホモ・サピエンス 2015.02.08-02.14

最近、ホモ・サピエンスとは何なのか、何だったのか、これからどうなるのかついて考えることが多くなった。この歳になって、改めて自分探しを始めたということかもしれない。人類学的な自分探しの旅も悪くない。

ヨーロッパにおいて、なぜネアンデルタール人は滅んで、ホモ・サピエンスであるクロマニヨン人が生き残ったのか。ネアンデルタール人は、寒冷地に対して自らの身体を適応(特殊化)してしまった。それに対してホモ・サピエンスは、文化で適応した。その違いが大きかったらしい。

ホモ・サピエンスには老人がいる。もともと動物は生殖能力が失われたら死んでいく。なぜホモ・サピエンスでは老人がいたのか。それは文化の伝承という役割があるからだ。老人の豊富な経験は、社会の知恵袋、生き方の知恵袋だ。その伝承のしくみを獲得したホモ・サピエンスが生き残った。

ホモ・サピエンスは知恵のある人という意味だ。その知恵によって、ホモ・サピエンスは未曽有の文化を築いてきた。一方でいま、ホモ・サピエンスは、自ら作り上げてきた文化のもとでしか生きられない存在となった。もともとヒトは自然とともにあったはずなのに、それができなくなってしまった。

ホモ・サピエンスになって、人類は複雑な文法を持つ言語能力を手に入れた。それは、人類を文字通り英智人とした。ところが、近代になって印刷術の発展とともに、言語はそれ自体で権力を持つようになった。いま我々はその権力のもとで生きている。

いま、人類は自らの遺伝子を直接操作する技術を手にいれた。科学技術の進歩は、生物の自然進化でなくて、計画進化を可能にした。それは次の新たな人種を生みだすことになるのだろうか。ホモ・サピエンスは、それによって滅亡してしまうのであろうか。

北京原人やジャワ原人で有名なホモ・エレクトスは180万年近く生き延びた。ホモ・サピエンスは、まだ高々20万年だ。農耕開始から1万年、産業革命からわずか数百年だ。これからホモ・サピエンスはどうなるのだろうか。果たして何(万?)年生き延びるのであろうか。