通信とその進化 2015.02.15-02.21

僕のもともとの専門は「通信」である。その基礎を情報理論的に探ることが僕の研究者としてのルーツだった。1960年代後半のことである。あるときその通信を英語でコミュニケーションと呼んでみたら、僕の通信に対するイメージが変わった。僕の専門も広がった。

通信は、相手とつなぐことから始まる。通信用語では、それを「交換」という。昔は、交換手が手動でつないでいた。相手とつながったら、信号を送ることが次の課題となる。それを通信用語で「伝送」という。少なくとも1970代から80年代までは、通信技術は交換と伝送が中心であった。

通信では、相手に対してありのままの情報を伝えることが使命となる。でもそれだけでいいのか。例えばテレビ電話では、ありのままよりもいい顔が相手に映った方がいいのではないか。1980年代半ばにそう考えたことが、僕が顔に興味を持つきっかけとなった。

通信は、単なる情報伝達でなくて、人と人の間のコミュニケーションを支えるものではないか。そう考えて「ヒューマンコミュニケーション」と名付けた研究会を立ち上げたのが1990年であった。それから四半世紀、いまではヒューマンコミュニケーションは、技術用語としても定着しつつある。

通信は、単なるコミュニケーションではなく、コラボレーションを支えるメディアとなる。コラボレーションは、複数の人が絡めばコミュニティとなる。コミュニティで金銭がやりとりされれば経済社会となる。1990年代後半からのインターネットは、そのようなメディアとなった。

いまや通信メディアは、人々がそこで生活する場となった。身体の一部になり、空気のような環境となった。もはや人々はメディアなしには生きられない。わずか数十年の間に急激な環境の変化があった。それは人々が追い付くには余りにも速過ぎるように見える。

ネットワークは人の情報に対する感性を衰退させ、モバイルは人をメディア漬けにした。それは言い過ぎだろうか。そのメディアがいま知能を獲得して、人の心までも支配しようとしている。通信の進化は、人々を幸せにしたのだろうか。通信そしてコミュニケーションの研究者として自問する。