いい・かげん 2015.03.29-04.04

ある会議で「いいかげんがいいのでは?」と発言したら、総スカンを受けた。何事も極端に走るのではなくて、適度な加減、つまり「いい・かげん」が大切なのではないかという趣旨だったけれども、まったくわかってもらえなかった。

「いい・かげん」は決して不真面目ではない。むしろ非真面目と言えるかもしれない。真面目一方の議論には落とし穴がある。何ごとも完璧を期そうとすると、閉じて窮屈なものになってしまう。風穴を「いい・かげん」に開けておかなければ、未来はない。

「いい・かげん」には遊びがある。それがいい。遊びには楽しいという意味もあるけれども、たとえば歯車で少しだけ隙間がある。それが遊びだ。そのちょっとした隙間が大切なのだ。それがあることによって、ぎすぎすしなくなる。余裕が生まれる。人の心も同じだ。

人との関係で「いい・かげん」にできるということは、その人を信用しているということなのだ。すべてを自分で決めるのではなくて、相手にまかせる。それは自分にとって当然リスクがある。でも、相手を信用しないことによるリスクの方がはるかに大きい。そのことは知っておいた方がいい。

人はなぜ「いい・かげん」ができないのだろう。どちらかに決めないと、落ち着かないのだろうか。将来が不安になるのだろうか。むしろはっきり決めない方が、いろいろな可能性があって、どきどきわくわくする。人生を楽しく過ごすことができる。僕はそう思うのだけれども。

自分で言うのも何だけれども、僕はかなり気ままに生きてきた。それを「いいかげん」と呼ぶか「いい・かげん」と呼ぶかは難しい。多分前者だと思うけれども、その区別もいいかげんだ。「いいかげん」が結果として「いい・かげん」になっていれば、それが一番いいのかもしれない。

この歳になると、二者択一でどちらかに決めるということ自体が面倒くさくなってくる。こちらも楽しい。あちらも楽しい。死ぬのもいい。生きるのもいい。どちらかに決めないのがいい。そもそも「いい・かげん」がいい。そのような気持ちにしてくれた年齢に、改めて感謝!

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