友がみな我より偉く見える日、それは誰にもある。そのような日はどうしたらいいのだろう。啄木は、花を買って来て妻と親しんだ。それもいい。一人だけでひたすら花と対話する。それもいい。その花はきっと、君にもいいところがあると、慰めてくれるだろう。
友がみな我より偉く見える日は、飲んで飲んで飲みまくる人もいるだろう。それもいい。飲みまくって、我を忘れてしまえばいい。ただし二日酔いだけは気をつけて。酒が飲めない人は、やけ食いをしてもいい。ただし太り過ぎだけは気をつけて。
友がみな我より偉く見える日は、思いきって何もせずに眠ってしまおう。睡眠は、神が用意してくれた最高の特効薬だ。眠れないときは、できるだけ無意味なことをして時間を潰そう。僕の場合は、寝床でくだらないマンガを読む。それが睡眠薬になる。
友がみな我より偉く見える日は、居直ってしまおう。偉くなるだけが人生の目標ではない。もともと人はちっぽけな存在でしかない。ほんのわずかな違いで友と偉さを競っても、ほとんど意味がない。人は生きているだけで十分価値がある。それだけで立派なのだ。そう居直ってしまおう。
友がみな我より偉く見える日は、友もまた自分に対してそう思っているのかもしれない。もしかしたら、友にはできない、自分だけにしかできないことがあるかもしれない。友はそれをコンプレックスに思っているかもしれない。お互い様なのだと、勝手に思ってしまおう。
友がみな我より偉く見える日をなくすには、競争することをやめればいい。比較ができないことをすればいい。ナンバーワンではなくてオンリーワンを目指せばいい。友はもちろん偉い、自分も偉い。みなそれぞれの分野で偉い。そう思えるようにしてしまえばいい。
僕は学問の道を生きた人間だけれども、友がみな我より偉く見える日があることは、学者の宿命なのかもしれない。一方で、ほんのわずかだけれども、自分は天才なのではないかと思う日もある。その日があることを信じてじっと耐える。その寂しさに耐えられなければ、学問の道は歩めない。