休日 2015.05.03-05.09

神は天地を創造されたときに、7日目に休まれた。それが休日の始まりで、一週間の7日目に日曜日がある。それに国民の祝日が加わった。祝日は旗日でもあるけれども、いまは玄関先に国旗を掲げる人はほとんどいない。もっぱら休む日、あるいは遊ぶ日になっている。

休日には、日曜日と国民の祝日、例外的にいわゆる振替休日と国民の休日(国民の祝日に挟まれた日)がある。日本の国民の祝日は年間15日(平成28年より8月11日が山の日となって16日)で、先進国では最多である。仕事中毒の国だから、法律で休日を多くしているのだろうか。

24時間戦えますかの時代には、ビジネスマンは休日もゴルフで仕事だった。その意味では7日間戦ってきた。休めないから栄養ドリンクを飲んで頑張ってきた。本人はそれで良かったけれども、家庭は父親不在となった。休日はもともと家族の絆を深める大切な日だったのに。

日本では、盆と正月しか休日がなかった。それは休む日ではなくて、故郷に帰って家族・親族と共に過ごす日であった。つながりのための日だった。いまは、休日は多くなったけれども、親族が顔を合わすことは冠婚葬祭、それもほとんど葬式だけになった。家族も休日は別々に過ごすようになった。

連休をどのように過ごしたか。人それぞれでいいけれども、時間を持て余した人、仕事が気になって落ち着かなかった人もいただろう。せっかくの休みを生かせなかったとしたら、それは何故なのか。連休明けにそれを考えてみることも意味あることかもしれない。

休日はなぜあるのか。仕事の疲れを癒して、翌日から働くためのエネルギーを蓄える。休日は働く日のためにある。それが普通の答えだろう。一方でこのような発想があっていい。むしろ休日こそ人生の本来の日としてある。働く日はその休日のためにある。そう考えると、休日の過ごし方が大切になる。

20年以上前に、週休4日制を提唱したことがある。働くのは1週間の半分以下でいい。休みの1日目は身体を休める日、2日目は家族とともにいる日、そして残りの2日が自分を生かすための日だ。趣味、ボランティア、家族のため、もちろん仕事をしてもいい。それぞれが自分を自由にデザインする日だ。