謙虚でない時代 2015.05.31-06.06

今の時代、人には謙虚さが美徳であると説きながら、時代そのものが謙虚さを失っているように見える。自分中心になってしまったように思える。なぜそのような時代になってしまったのだろうか。誰がそうしてしまったのだろうか。

時代が謙虚さを失った。いま社会は、評価ばやりだ。評価がなければ進歩がないと信じ込んでいる。そのような見かけだけを重視する社会を生き延びるために、人や組織はまずは自分自身の評価を気にするようになる。謙虚に生きることは損になる。

時代が謙虚さを失った。競争に勝つためにスピードを重視する時代になって、人は立ち止まることを忘れてしまった。いつも追い立てられて、余裕がなくなってしまった。余裕がなくなると、人は自分のことしか考えられなくなる。自己中心的になる。

時代が謙虚さを失った。私利私欲は個人としては恥ずべきこととされている。ところが、組織のレベルになると、それは当然の善となる。近代の資本主義社会は、競争によってそれを獲得することを発展の原理とした。そこでは謙虚さは美徳ではなくなってしまった。

時代が謙虚さを失った。近代になって、天文学的な知識とは逆に、人々の意識は地動説から天動説になった。世界は自分中心に回っていると勘違いするようになった。世界は自分のためにあると思うようになり、自然も征服すべき対象となった。個人主義も、その意味を取り違えて、利己主義になった。

時代が謙虚さを失った。それは神が隠れてしまわれたからだろうか。人は見えるものしか信じなくなった。神の声を素直に聞くこと、そして謙虚に祈ることができなくなった。聞くことと祈ることを忘れた現代人は、これからどこへ行くのであろうか。自らが神になることを目指すのであろうか。

時代が謙虚さを失った。時代にもし品格というものがあるとすれば、謙虚でない時代に品格はない。もともと品格のある時代は古今東西なかったとも言えるけれども、だからと言って、品格を捨てていいというものでもない。捨ててしまったら本当に品格のない時代となる。