七夕 2015.07.05-07.11

今年も七夕が近づいてきた。織姫と彦星は、一年に一度しか逢瀬を楽しめない。可哀想にも思えるけれども、一年に一度だからいいのかもしれない。もし毎日逢瀬を重ねていたら、喧嘩ばかりして、じきに互いに飽きてしまうだろう。

子どもの頃、七夕の夜は本当に織姫(こと座のベガ)と彦星(わし座のアルタイル)が動いて天の川を横切ると思っていた。七夕の夜にそれを確かめようと、ただひたすら夜空を眺めていた。七夕はもともと旧暦の行事だから、新暦の七月七日は関係ないのだけれども、それも知らない無邪気な子どもだった。

七夕の日に雨が降ると天の川の水かさが増して、織姫と彦星は逢うことができない。その雨は、織姫と彦星が流す涙だと伝えられている。中国はともかく日本は今は梅雨だ。そのような時期に七夕があるなんて可哀想な気もする。今夜はどうなのだろう。二人は逢えるのだろうか。

七夕には、願いごとを書いた色とりどりの短冊を笹の葉につるして、星にお祈りをする。そこでの願いごとは、書や裁縫などの手習いの上達であって、愛の成就ではないらしい。そもそも一年に一度しか逢うことを許さない星に、愛の成就を祈っても叶うはずがない。

織姫と彦星が七夕のときしか逢瀬を楽しめないのは、実は二人に責任がある。二人は晴れて結ばれた夫婦だったけれども、結婚したら二人で遊んでばかりいて仕事をしなくなった。天帝は怒って二人を引き離し、一生懸命働くことを条件に、一年に一度だけ逢うことを許した。それが七夕伝説の始まりらしい。

どんなに愛し合っていても、四六時中一緒にいたら、いろいろと問題が起こる。恋愛は、互いの距離を楽しむゲームだ。離れていたらいたで、想いがつのる。互いの愛を確認することができる。恋愛に限らず人と人の関係は、ほどほどの距離が大切である。七夕はそのような人生訓としての意味も持つ。

文明すなわち文化の明かりは、夜空をも照らしてしまった。いま都会では天の川はおろか一等星であるベガ(織姫)やアルタイル(彦星)もほとんど見えない。それは本当の文明なのだろうか。星の明かりを文化として大切にする。人類はこれからそのような文明を築いていかなければならない。