数値 2015.07.19-07.25

人は数値が好きだ。なぜ好きなのだろう。数値には大小関係がある。その大小関係によって序列をつけて、優劣を比較したいからだろうか。それによって競争させたい、あるいは競争したいからだろうか。それとも、単に数値というデータを眺めることが好きなだけなのだろうか。

理系は数値に強いと思われている。僕は理系だけれども苦手だ。法人の会計書類を見ると目がクラクラする。理系的感覚では、有効数字3桁が正確であればいいのではと思う。でも会計書類ではそれは許されない。歴史の年号も、○○年頃でいいようにも思うけれども、正確でないと試験では間違いになる。

数値は客観的に見える。本当にそうなのだろうか。恣意的につけられた数値には客観性がない。そもそも計算式に客観性がなければ、それで計算された数値も同じだ。であるにもかかわらず、数値には客観性があると錯覚する。そこに落とし穴がある。

「結果を数値で出せ。出さなければ評価できない」 内容や質を自分では評価できないお偉方の常套句だ。数値になっていれば、その大小関係だけがわかれば評価できる。大小関係の比較ならば小学生でもできると言ったら、そのお偉方に失礼だろうか。

美術作品を価格という数値で評価するテレビ番組がある。娯楽としては面白いけれども、美術の本当の価値は数値では測れない。それは美術の場合はわかりやすい。一方でいまの社会は、人も数値で測ろうとしているのではないか。むしろそれが気になる。

数値は一人歩きする。高校教育では、有名大学への合格者数だけが一人歩きして、数値化できない能力、たとえば人間力は評価の対象にならない。教育で数値に頼ると、教師は数値ばかりを眺めて生徒を直接見なくなる。教育だけでない。大学の研究も数値だけで評価するとおかしくなる。

数値は重要である。目標を明確にできる。その目標へ向けて一致協力できる。達成度もわかる。目標が限定されていて数値化できるときはそれでいい。でもそれをすべてに適用するとおかしくなる。数値化できないことが沢山ある。大切なことほど数値化できない。それを忘れてはならない。