快感 2015.07.26-08.01

人にはなぜ快感があるのか。快感は欲望が満足されたときに得られる。したがって、欲望の数だけの快感がある。快感は脳の報酬系の興奮だと言ってしまえばそれまでだけれども、人はその快感を求めて行動する。快感が社会を変え、時代を変えることもある。

快感は、動物としての人が生きていく上で必須のものだ。性の快感がなければ子が生まれない。人類は種として滅亡する。食の快感がなければ、何も食べずに死んでしまう。人が積極的に生きていくためのエネルギーとして快感がある。

人が金銭を払って快感を求めるようになると、快感は産業、ビジネスになる。性欲の快感産業は人類の歴史とともにあった。いま食欲の快感産業が花盛りだ。快感産業は、人々の潜在的な欲望を発掘する。なくてもいい快感まで、容赦なく貪欲に発掘する。

快感は、気取った社会では恥ずかしいこととされる。なぜなのか。快感は本能だけれども、本能を蔑み、理性によってそれを克服する。それが近代だからだ。一方で近代は、金銭欲を満たされた時に得られる快感を、善としてしまった。時代はいま、その快感の追求によって動かされている。

恥ずべきとされない快感もある。その一つが知的快感だ。それは人に特有のものかもしれない。知的快感は人類の進歩の原動力となった。科学者はもっぱら知的快感を求めて研究してきた。いま我々はその恩恵を受けている。

創造の快感もある。人類は様々な創造を行なってきた。その創造を共有し、さらには子孫へ伝承することによって、文化を生み出してきた。おそらくホモ・サピエンスの脳にはその創造の快感中枢がある。遺伝子にもそれが書き込まれているに違いない。

快感は必ずしも個人だけに閉じたものではない。人から褒められたときの快感もあれば、人に喜んでもらうという快感もある。いわゆるおもてなしも快感だ。快感のための親切の押し売りは、有り難迷惑になることもあるけれども、その快感を素直に楽しむ文化も大切にしたい。