「見直す」という言葉には二通りの意味がある。一つは、文字通り「見て直す」、もう一度見て、その「誤りを正す」ことだ。いま一つは、「君を見直したよ」と言うときの見直す。その優れた価値を「改めて評価する」ことだ。
いまから500年前、ヨーロッパで二つの見直しが行われた。一つは宗教改革、それは中世の絶対的な権威であった教会の教えを見直し、その誤りを正すものであった。いま一つはルネッサンス、それは中世以前の文化を改めて評価するものであった。その二つの見直しが近代という時代を拓いた。
近代という時代を見直すとどうなるだろうか。市民革命と産業革命を経て、未曽有の繁栄をもたらした。それは改めて評価していい。一方で、地球環境問題に代表されるように、それは人類の将来を危うくしつつある。近代は、いま見直しの時期に来ている。
近代は個人主義の時代であった。それは個人をさまざまな「しがらみ」から解放した。一方で、その代償として人々は「つながり」を失った。個人主義は孤人主義となった。それでいいのか。人と人のつながり、そして共同体の大切さを改めて見直すときなのではないか。最近その思いが強くなっている。
戦後の日本を見直すとどうなるだろうか。軍事中心だった日本は経済中心に舵を切り替え、日本を物質的に豊かにした。それは改めて評価していい。しかし経済一辺倒の社会は、さまざまな歪みを残した。精神的にはむしろ貧しくなったという指摘もある。その見直しはこれからの課題である。
いま平和憲法の見直しが議論されている。平和憲法では国際貢献ができないから見直して改定すべきだとする立場が一方にあり、平和憲法には戦後の日本人の決意があり、改めてその価値を見直すべきだとする立場が一方にある。どちらも「見直す」だけども、その方向は180度違う。
「誤りを正す」と「改めて評価する」、この二つは見直しには欠かせない。日本人は真面目だから、誤りを正すことに向かいがちだ。一方で思う。日本人はもっと、個人としても、国としても、自信を持っていい。改めてその優れたところを評価していい。誇らしく胸を張っていい。