プロペラ式人工蜂 2015.08.30-09.05 

ドローンと呼ばれる無人で飛行する「プロペラ式人工蜂」が注目されている。考え方そのものは昔からあったけれども、もしかしたらそれは人々の生活を大きく変える画期的な技術かもしれない。いい意味でも、悪い意味でも。

社会は新しい技術が登場して事件を起こすと、それをもてはやす。そしてじきに忘れ去る。しかし、技術は忘れ去られても進化する。情報装置が地上という平面から空間へと飛躍したということは、意味あることなのだ。いまのドローンの姿だけを見てその将来を判断してはいけない。

脳だけであったコンピュータが、手足を持ってロボットになった。ドローンは翼を持ったロボットだ。人は長いこと鳥のように空を自由に飛ぶことを夢見てきた。ロボットが同じ夢を見ても不思議ではない。それは当然の進化だとも言える。

空飛ぶカメラとしてのドローンには、無限の可能性がある。一方で、高層マンションといえども、自由に覗かれるようになる。いつもつきまとって、あなたの行動を監視するストーカーにもなる。そのような「いつでもどこでもの監視社会」の到来を、ドローンは加速することになるのかもしれない。

技術的には難しいと言われているけれども、ドローンに人ひとりを持ちあげるだけのパワーがあれば、タケコプターになる。それは「ドラえもん」で育った世代にとっては、永遠の夢だ。ドラえもんが誕生する2112年9月3日には、この技術は生まれているのだろうか。

ドローンは物流を変えるのだろうか。1901年1月に報知新聞に載った20世紀の予言に「写真電話によって遠距離にある品物を鑑定して売買の契約を整え、その品物は地中鉄管の裝置によって瞬時に受け取ることができる」があった。地中ではなく空中でこの予言が的中したら面白い。

ドローンの最大の問題は騒音だ。ドローンが小型化して、蜂ではなくて蚊くらいの大きさになって無数に飛び回るようになると、相当にうるさい存在となろう。「世の中に蚊ほど五月蠅きものはなし・・・」。江戸時代の狂歌が、再び現実となる時代が来るのだろうか。