人生70年 2015.09.06-09.12

終戦の年に生まれた僕にとって、戦後70年は僕自身の70年であった。いま戦後の総括がなされているけれども、僕の人生はどうだったのか。昔のことを語るのは老人の特権であると居直って、ここを勝手に私物化して、僕の人生70年をつぶやく。

0代つまり10才までは、親は僕がアーティストになると思っていたらしい。確かに休みの日は絵ばかり描いていた。書道教室、バイオリン教室にも通った。ところが10代になって、とんでもない反抗期を迎え、親が期待することはすべて止めてしまった。人生に悩み、哲学少年になった。

20代、通信技術の研究者だった父が急逝して、僕も同じ道を歩むことになった。ときは学生運動の時代。それに共感を覚えつつも、統計的な情報理論の美しさに魅せられて、その世界に埋没した。30代は、大学に残ることになり、そこでしかできないテーマを求めてひたすら模索した。

40代、恩師が出張中に急逝して、研究者としての自立が求められた。コミュニケーションの基礎を、数学的な方法論からではなく、その本質を探りたくなった。人はなぜコミュニケーションするのか。それを支える技術は何なのか。再び心理学など文系の書を読むようになった。人の顔にも興味を持った。

50代、理系と文系の区別がない学際的な学術領域を立ち上げる機会が与えられた。顔についての学際的な学会設立の中心になり、大学では情報に関連する学際的な大学院組織の創立に関わった。人のネットワークも学際的に広がった。それは僕の財産になった。

60代、還暦とその数年後に定年を迎えて少し自由になった。初心に戻ってアートにも近づき、科学技術と文化芸術の融合へ向けた活動にも関わった。定年後は、理系・文系・芸術系の区別なく、1人の人間として興味を持ったことを学びたくなった。そしてそれをささやかに語ることを始めた。

2015年9月12日、僕は古希を迎えた。人生は一巡したようにも見えるけれども、まだまだ知らない自分がいるに違いない。これまでの人生を感謝するとともに、これからの70代、そして許されれば80代、無理と思うけれども90代を、その年代でしかできないことに挑戦していきたい。