このつぶやきを本格的に始めたのは、高齢者になった65歳の誕生日であった。いま古稀だからちょうど5年になる。この歳になると月日が経つのが早い。5年間毎日1回つぶやいていれば、あっという間にそれはたまる。
つぶやいて5年。僕の専門はメディア技術だ。その立場からこうつぶやいている。「メディアは人と人の関係を拡張する。みかけの距離を縮めることができる。時間を操作することもできる。けれどもメディアを媒介することによって失われる何かがある(2010-10-02)」
つぶやいて5年。人とつきあうときの僕の座右の銘。「人と人の関係は、その人とどのくらい無駄な時間を過ごしたかで決まる。無駄が大切である。効率的につきあった相手とは真の関係は生まれない(2010-10-19)」。これを口実に、飲めない酒を、気に入った相手と共にする。
つぶやいて5年。震災のとき、こうつぶやいた。「この非常時に笑顔をしていると不謹慎だと言われる。しかしこのようなときだからこそ、笑顔を忘れないようにしたい。笑顔は、殺気だち疲れ切った人々の心を和ませる。そして何よりも自分自身のエネルギーになる(2011-03-16)」
つぶやいて5年。どうしょうもないこともつぶやいている。「かつて女性のファッションでスリットが流行したことがあった。街で注意して観察するとスカートの左側が多い。それは何故なのだろうか?(2011-08-14)」。これは「左側の法則」として真面目につぶやいた。
つぶやいて5年。入院したときも指先のリハビリと称して続けた。「病院では、看護師さんはみな優しい、笑顔がいい(2012-03-21)」。「入院すると改めて人のつながりのありがたさを痛感する。気づかせてくれた入院に感謝(2012-03-24)」。入院も楽しんでいたことがわかる。
つぶやいて5年、いま読み直してみると、興味深くも怖しくもある。それは自分自身だからだ。日常のことはつぶやかないから日記ではないけれども、僕の人生のメモ(備忘録)として、そのときどきの心境が写し出されている。5年も毎日欠かさず続けると自分は隠せない。