多毛作人生 2015.10.25-10.31

僕は人生二回説を唱えている。多毛作人生という言い方もある。還暦は、二回目の人生の誕生日だ。そこで赤子の気持ちに戻る。その頃に、定年という形でそれまでの仕事人生に区切りをつける人も多い。そこから二毛作目の新たな人生が始まる。

この歳になると、このまま僕の人生は終わってしまうのかと、ふと寂しくなることがある。でも考えてみたら、これまでの世界最高齢は120歳だ。まだ50年ある。日本人の平均余命を見ても、あと15年は生きられる。15年あれば赤子も中学を卒業する。昔だったら元服する。

子どものとき、将来どのような大人になりたかったのだろうか。人生が二回あれば、それを思い出してもいい。できる、できないは別として、新たな気持ちで挑戦することもできる。少なくとも、子どものときのワクワクドキドキを、もう一度体験することができる。

まだまだ若い人には負けませんと頑張る老人も増えてきた。僕の分野では、研究には終わりがないと元気に一線で研究を続ける先輩も数多い。一方で、それまでの人生には区切りをつけて、二毛作目の人生は高齢者でなければできないことを始める。そのような生き方もあっていい。

一毛作目の最初の人生には、それなりの責任があった。仕事で属している組織への責任、そして家族への責任である。二毛作目の人生には必ずしもそれがない。自分勝手な生き方をしてもいい。古代インドの林住期のように、その名の通り人里離れたところに隠居して、仙人のような生き方をしてもいい。

スポーツ界では、若くして引退して後進に道を譲る選手も多い。引退は決して終わりではない。後進を育て、子どもたち相手のスポーツ教室を開く。二毛作目は、第一線で活躍するのではなく、むしろ支える側にまわる。目立たないけれども、すべての分野で支える人が必要とされている。

二毛作は二期作とは違う。二期作は同じ畑で同じものを二回作ることだ。これに対して二毛作は異なる作物を栽培する。人生も同じだ。二毛作目の体力は衰えているけれども、一毛作目にはない新たな力も身についている。その力は人それぞれだから二毛作目は面白い。