テレビ 2015.11.01-11.07

日本でテレビ放送が始まったのが1953年、僕の家にテレビが来たのはその5年後、小学校を卒業したときだった。白黒の14インチ、4万2千円だった。スイッチを入れてから画面が出るまで20秒かかった。ロカビリー全盛時代、テレビの中の世界は僕にとってカルチャーショックだった。

実は僕はテレビっ子だった。勉強するときもいわゆる「ながら族」だった。当然親に叱られた。いまから思えば効率の悪い勉強法だったけれども、そうでもしなければ勉強する気になれなかった。テレビは、いい意味でも悪い意味でも、僕にとって家庭教師だった。

テレビのチャンネルを切り替えることを、僕の世代はチャンネルを回すという。チャンネルがダイヤル型の回転式だったからだ。それは押しボタン式に変わり、リモコンに変わった。僕はチャンネルを回しながらザッピングをした。当然チャンネルは擦り切れて、すぐおかしくなった。

テレビは、昔は茶の間(リビング)に、一種の家具としておかれていた。それは家族団欒のメディアだった。好みが違うからチャンネル争いも起きた。それがそれぞれの個室に一台おかれるようになった。そのとき家族もばらばらになってしまった。テレビは家族の絆としての役割を失ってしまった。

かつてテレビは「一億総・・・」すると言われた。その前には「一億玉砕」や「一億総懺悔」があった。「一億総・・・」は、日本人を思考停止状態にすることを意味するけれども、それはメディアそして時代に対する辛辣な警告だった。その状況は今でも変わっていない。

テレビはいま、情報技術と結びついて変容しようとしている。受像機を賢くするスマートテレビ、インターネットと連携したハイブリッドキャスト・・・。それは新たな文化として成長していくのであろうか。それとも安易な番組ばかりになって消滅するのだろうか。

テレビが登場したとき、映画はなくなるのでないかと言われた。実際、場末の映画館はピンク映画ばかりになった。でもいま、映画はしぶとく生き残っている。ネットの時代になって、テレビのあり方が問われている。例えば8Kは、テレビの新たな形なのだろうか。全く違った形に変容するのだろうか。