ラジオ 2015.11.08-11.14

僕が小さいとき、家庭にある電気製品は電灯、アイロン、そしてラジオだった。ラジオは唯一の娯楽メディアだった。今でも思い出す。「二十の扉」「三つの歌」「トンチ教室」「話の泉」・・・。僕の少し上の世代は「君の名は」だ。その時間は銭湯の女湯から人が消えるとも言われた。

夕方6時15分からのニッポン放送の「少年探偵団」を、僕は欠かさず聴いていた。その主題歌は今でも歌える。僕は小林少年になることが夢だった。少年探偵団の後は、NHKラジオの「一丁目一番地」だ。それは家族とともに聴いた。そして夕食になった。

ラジオは「ながら」ができるからいい。大学院で学位論文を執筆しているときは、いつも深夜放送がつけっぱなしだった。TBSラジオの「パックインミュージック」、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」、文化放送の「セイ!ヤング」「走れ!歌謡曲」。そして「明るい農村」で夜が明けた。

回数は少ないけれども、僕にラジオ出演の依頼がくることもある。ラジオは、この声が放送に流れているのだなと自分で確認できるので気持ちよく話せる。テレビはそうはいかない。放映された番組を見て、自分の顔に愕然とする。ラジオは顔が見えないからいい。

ラジオは、聴く方も話す方もゆったりとした気持ちになる。例えば、NHK-FMの「日曜喫茶室」や「トーキングウィズ松尾堂」では、ほとんど台本なしで数時間にわたって番組収録をおこなう。テレビはそうではない。いつも慌ただしく、何も話せずに終わってしまう。

数年前に「ラジオ深夜便」に生出演したことがあった。午前1時過ぎに、NHK西口で帰りのタクシーに乗ったら、僕の声を聞いただけで、運転手が「いま深夜便にでていたでしょう。今夜は面白かった」と言ってくれた。嬉しかった。これぞラジオだと思った。

鉱石ラジオというものがある。コイルとバリコン、それに検波器としての鉱石(ダイオード)とイヤホンがあれば、AMのラジオを聞ける。電池はいらない。それは災害時にも威力を発する究極の無線メディアだ。テレビはなくなっても、ラジオはなくならないでほしい。僕は本気でそう思っている。