僕は事情があって酒をほとんど飲まなくなっているけれども、酒の席は減っていない。そこで嗜むのは、酒ではなくて、相手と取り交わす話題だ。それによって、飲む酒の味が変わる。美味になることもあれば、せっかくの酒が台無しになることもある。
酒の席では、人の噂話が恰好の酒の肴になる。「誰と誰はできている」。できていてもいなくても、僕には関係のない話だけれども、それくらいならまだいい。やたらと愚痴る人もいる。人の悪口を言う人もいる。妬み話になることもある。そうなるともう聞くに堪えなくなる。
酒の席では、一億総評論家になる。いかにも業界に通じているかのように、「マスコミには報道されていないけど実は・・・」と裏話をする人もいる。いわゆる週刊誌ネタだ。それはそれで面白いけれども、どこまで信じていいのか、いつも迷う。適当に感心したふりをしてごまかすこともある。
最近はあまりないけれども、企業で講演すると、そのお礼として偉い人から接待を受けることがある。そこでの話題は、ほとんどがゴルフだ。僕はゴルフをしないので沈黙の時間が流れる。そのようなとき僕は顔の話をして場を盛り上げる。どちらが接待する側なのかわからなくなってしまう。
ちょっと気取ったレストランで、ちょっと気取った人と酒の席を一緒するときは気をつけた方がいい。ワインについての講釈を長々と拝聴することになる。それだけならまだいい。ほとんど飲めない僕も、びっくりする金額のワインの代金を、均等に支払わされることになる。
同世代の友人と酒を飲むと、最近はほとんどが病気の話になる。病気自慢になることもある。老人ホームも関心事だ。女性には女子会というものがあるらしい。そこでの話題は昔ながらの嫁への不満だろうか。それとも定年後にぐうたらしている亭主の悪口だろうか。
酒の席の話題は、それぞれの人生の縮図だ。みな一生懸命生きている。人の悪口はご免こうむりたいけれども、自慢話やちょっとした愚痴は笑顔で聞いてあげよう。それはお互い様だからだ。僕が退屈な話をするときも、辛抱強くつきあってくれれば嬉しい。