葛藤  2015.11.29-12.05

葛(くず)や藤(ふじ)のつるが絡まると、もう訳が分からなくなって、身動きがどうにもとれなくなる。それを葛藤という。人が生きていく上で必ずさまざまな葛藤がある。葛藤があるから人は工夫する。その工夫の積み重ねが文化となる。

人は面と向かって話すよりも、メディアを通じたコミュニケーションを好むようになった。なぜだろう。人間関係には必ず葛藤がある。メディアを介せば、その葛藤を避けることができる。特に顔を見せないコミュニケーションは自由で快適だ。そう思う人が増えてきたということなのだろうか。

便利さをもたらす技術は、人の葛藤を解消することを目標として開発されてきた。それによって確かに便利になったけれども、果たして人々の葛藤はなくなったのだろうか。僕にはそう思えない。葛藤を克服するために仕組みを作ると、そこにまた新たな葛藤が生まれる。葛藤には終わりがない。

葛藤は、葛藤すること自体が大切なのだ。そう簡単には解決策がみつからない。それが重要なのだ。解決策をすぐ示すことは、テストですぐ正解を与えるようなものだ。正解がすぐ与えられたら、誰も考えなくなる。そこには成長がなくなる。

人生の指南書が溢れている。「○○するための、○○の法則」。そのようなタイトルの本がベストセラーにもなっている。人生は葛藤することが重要なのに、人はすぐ解決策を求めたがる。それがビジネスになっている。葛藤までも金で解決する時代になってしまった。

葛藤は、不思議なことに真面目に取り組むと、もっと絡まる傾向がある。現代社会は複雑に絡まったことだらけだ。それぞれは良かれと思って真面目に取り組んだ結果なのだろう。いまそのしくみに雁字搦めになっている。その雁字搦めを真面目に解決しようとすると、もっと雁字搦めになる。

葛藤は、それが度を過ぎるとストレスになる。それは心と体におこる葛藤への防衛反応なのだろう。そのような時は、居直るに限る。葛と藤のつるが絡まっても、そのままにしておくという手もある。人には必ず葛藤があるのだから、葛藤を避けるのではなく、葛藤とのいい付き合い方を覚えた方がいい。