個人的に開いている講演会で、人工知能の未来について話していたら、突然「人工バカ」という言葉が浮かんだ。講演をしながら、心の中では人工バカについて考えていた。その方が夢があるような気がしてきた。暗くなりがちなテーマに、少しだけ光がさしてきた。未来が見えてきた。
最近の人工知能研究では、ディープラーニングがキーワードになっている。人工バカ研究でそれに相当するものは何だろう。浅い学習、浅薄学習だったらシャローラーニングだろうか。バカな学習という意味で、マッドラーニングの研究も面白い。
人工バカに必要な機能・能力はなんだろうか。笑いやユーモアは当然として、いい・かげんな判断能力、論理よりも直感能力、悪ノリ能力、共感能力、あきらめ能力、居直り能力、いろいろあろう。こう挙げていくと、人工知能よりも遥かに奥が深いことがわかる。
人工バカロボットの隠れた機能として「涙」を用意しておきたい。人前でひたすらバカに振舞うことは大変なのだ。それが辛くなることもあるだろう。そのようなときは一人トイレに入って涙を流す。人工知能に涙は似合わないけれども、人工バカは涙がなければやっていけない。
人工バカを研究するために「人工バカ学会」があっていい。おそらく発起人はすぐ集まるだろう。問題は、学会の会員資格をどう決めるかだ。学会誌に載る論文の査読基準をどう決めるか、どのような研究に学会賞を出すか、限りなく課題がある。真面目に議論したら学会は作れなくなる。
人工知能は軍事研究として注目されていると聞く。確かにそれは有力な武器になるだろう。それに対して人工バカは、もっぱら平和研究だ。その方が似合っている。戦地に人工バカロボットを送り込むと、戦争がバカらしくなって平和になる。そのようなロボットが開発されたら素晴らしい。
人工知能はシンギュラリティの先に人類を滅ぼす可能性があるけれども、人工バカは逆に人類を救うかもしれない。なぜ救うのかと真面目に詰問されると困ってしまうけれども、そんな気がする。研究者としてこれでいいのだと最後に言えるのは、人工知能ではなく、人工バカの研究なのだ。